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湊川教室
「国語」を学んだ先にあるもの
2021.01.14
突然ですが、「国語」を学ぶことによって何になると思いますか?
日本の国語とは要するに「日本語」のことです。
海外の「国語」はもちろん英語圏ではEnglishになり、フランスならFrancaisになります。
日本で生まれた日本人にとって日本語は、
物心ついたころには勉強した覚えがなくても身についている「習慣」で会得した言語です。
習慣で会得したものを「改めて体系立てた『学問』として学びましょう」ということなので、
余計に抵抗感が生まれるのも無理のないことかもしれません。
「こんなの何に役立つのか」
「やって意味があるのか」
そんな声が聞こえてきそうです。
しかし、私は日本語を改めて学ぶことには間違いなく価値があると思っています。
ここからはその実用性における意味ではなく、「価値」に視点を置いて考えてみてください。
言語というのは「生き物」同様変化し、進化し続けるというのはご存知でしょうか?
もちろん実際に紙に書いた文字がうにょうにょと動いて歩き出すという意味ではありません。(笑)
大きくは時代によって使われている言葉が異なり、細かくは日々新しい言葉が生まれ、消えていっているという意味です。
日本語は世界でも珍しいそのルーツが確定していない言語であり、学習者でない限り他の国で話されることはありません。
文構造をとっても世界的に話者の多い英語やスペイン語、中国語などと違っています。
これを知って不便と思う日本人も多いでしょう。
日本人が相対的に外国語が苦手なのも、ここに原因の一端があります。
しかし、「価値」に重点を置いて日本語を見てみるとどうでしょうか?
日本語の特異さや希少性に惹かれてそれを学問として研究する人がいます。
日本語の音に魅せられて日本語を学ぶ人が世界中にいます。
日本語を母国語として話す日本人の精神性や独特の感性に惹かれて毎年多くの人が日本を訪れています。
これだけでも日本語を母国語として持つ自分たちを少し誇らしく思うことはできないでしょうか?
日本語が他の言語より優れている、劣っているの話をしたいわけではありません。
それぞれの言語に特徴があり、その言語を話す人たちに独自の感性があります。
「国語」すなわち私たちにとって「日本語」を学ぶことは、日本の歴史を尊ぶことであり、
世界の様々な文化文明と日本の違いを認めて学ぶ起点になりえるのではないでしょうか。
色々な観点から物事が考えられるように子供の成長を促すお手伝いをさせていただければと思います。